第2話 支配のはじまり ― キスだけで濡れる身体
黒川の指先がテーブルを軽く叩いた。
その仕草だけで、空気が変わるのがわかった。
「……緊張してる?」
低く落ち着いた声が耳をかすめる。
その響きが、皮膚の内側を撫でるようで――息が止まった。
目が合う。
ただそれだけなのに、背中にぞくりとしたものが走る。
もう、この距離では逃げられない。
グラスを置いた瞬間、黒川がゆっくりと身を寄せてきた。
瞬間、空気が触れ合い、唇が触れる予感が、喉の奥で脈打つ。
「美咲ちゃん」
低く呼ばれた声に顔を向けると、そのまま肩を抱かれ、ぐっと胸元に引き寄せられた。
「あっ……!」
驚く間もなく、硬い胸板に押し付けられる。大きな手が後頭部に回り、強く押さえ込んでくる。
逃げ場がない――そう思った瞬間、温かな唇が私の口を覆った。
「ん……っ!? んん……っ」
突然の口づけに息が詰まる。顔をそらそうとするけれど、頭を支える手がびくともしない。顎まで掌で固定され、抗うことすらできなかった。
そして、湿った熱が唇の隙間を割り、舌が深く差し込まれる。
「んんっ……ふぁ……っ」
喉から甘い声が勝手に漏れる。自分の意思ではない。紳士的に穏やかだった黒川が、一瞬で荒々しい男に変わっていた。
舌を強く吸われ、唇を何度も噛まれる。
「ちゅっ……じゅるっ、んっ……」
濡れた音がいやらしく部屋に響く。耳の奥まで痺れるようで、頭がくらくらする。
酸素が足りない。息を吸いたいのに、その隙を与えず次のキスが重ねられる。
「んっ、んぐ……っ、ふぅ……っ」
頭が真っ白になっていく。脳が混乱して、何も考えられない。
(これ……翔太とするキスと全然違う……!)
翔太の穏やかな口づけとは違い、黒川のそれは支配的で荒々しく、すべてを奪い尽くすみたい。怖いはずなのに、体は逆らえない。
抱きしめる腕が強く、背中を押し付けられ、完全に逃げ場を失う。
舌を絡め取られ、歯茎まで丁寧に舐められると、背筋がぞわりと震えた。
「んぁ……んんっ……あぁ……」
声が熱を帯びて零れていく。
繰り返される深い口づけに、だんだん体から力が抜けていくのが分かる。
黒川の舌がゆっくりと絡み、味わうように口内をなぞるたびに、手足の感覚がふわりと遠のいていく。
息が上手くできない。だけど、もう拒めなかった。
強引さと余裕を併せ持つ、大人のキスに、私は完全に呑み込まれていった。
濃厚なキスの余韻で呼吸を整える間もなく、黒川の声が低く落ちた。
「……じゃあ、脱いでごらん」
その一言で胸が跳ね上がる。
「え……」
思わず視線を泳がせる。いつもは翔太が優しく服を脱がせてくれる。灯りも落とした暗い部屋で。自分から脱いだことなんて、一度もなかった。
けれど今は違う。
明るいホテルの照明に照らされ、二度目に会ったばかりの年上の男性の前で――。
喉が詰まる。けれど黒川の眼差しは揺らがない。促すでも命じるでもなく、ただ当然のこととして待っている。
その余裕が逆に抗えなかった。
私は震える指でブラウスのボタンに触れる。ひとつ外すたびに胸が詰まる。
「は、恥ずかしい……」
小さく呟きながらも、ボタンを外していくしかなかった。
スカートのファスナーを下ろすと、するりと布が足元に落ちる。
下着姿になった瞬間、思わず顔を背けた。頬が熱くて仕方ない。
「……やっぱり、電気ついてると……」
口から零れる弱い声。暗い部屋でしか知らなかった自分の姿を、今はすべて曝している。
彼氏以外の男に。
その罪悪感と羞恥がないまぜになり、胸が苦しいのに――黒川の視線を浴びると、どこかで熱が芽生える。
逃げられない。逃げたくない。そんな矛盾した感情に体が震えていた。
黒川の視線が、舐めるように私の全身をなぞっていた。
「……美咲さん、綺麗だよ」
低い声でそう言われるたび、恥ずかしさで身体が熱を帯びていく。下着一枚しかまとっていないのに、全身をじっくりと見られる感覚。顔から火が出そうだった。
「じゃあ、下着もとって」
その言葉に、心臓が大きく跳ねる。震える手でブラを外し、ショーツを下ろした。
――生まれたままの姿になった瞬間、頭の中が真っ白になる。
「ああ……全部、見られた……」
思わず胸と股間を手で隠す。
だが、黒川はふっと笑みを浮かべて言った。
「隠しちゃだめだよ」
大きな手が私の手を掴み、そっとどけていく。覆いを失った胸が、視線に晒される。
「……乳首が立ってるね」
「えっ……」
そう言われて初めて気づく。キスの時から熱くなっていた胸の先が、自分でもはっきりわかるくらい固く尖っていた。
(な、なんで……? キスで……感じちゃったの……?)
弁解の言葉は出てこない。ただ恥ずかしくて、答えることができなかった。頬が熱くて、呼吸が浅く乱れる。
黒川の目が、さらに深く覗き込む。
「……自分で広げてごらん」
「……え……?」
「もちろん、そこをだよ」
頭が真っ白になった。とうとうその時が来てしまった。
「……わかりました……」
震える声で返事をし、恐る恐る指先を伸ばす。脚を震わせながら、秘めていたそこを指で広げて見せた。
あまりに露わで、羞恥で心臓が破れそうだった。
でも、黒川の視線を浴びた瞬間、羞恥と同時に胸の奥で甘い疼きが芽生えていくのを感じてしまった――。
震える指で、言われるままに秘めた部分を広げた瞬間、空気が一層熱を帯びた気がした。
黒川の瞳がそこに注がれる。光を吸い込むような、じっくりとした視線。息が詰まり、心臓が暴れる。
「……きれいだね」
吐息混じりの低い声が落ちてきた。たったそれだけの言葉なのに、羞恥と同時にぞわりと背筋に震えが走る。まるで体の奥底まで見透かされたようで、脚が勝手に竦んだ。
彼は顎に手を当てて、わざとらしいほど感心した様子を見せる。
「彼とは……あまりしてないのかな」
「え……」
思わず顔を横に向ける。否定も肯定もできない。恋人の翔太との関係は、優しいけれど控えめで、明かりを消したベッドで触れるだけのものだったから。
黒川の声がさらに低く落ちる。
「濡れてるね……いや、もう垂れてきてる」
その瞬間、全身が硬直した。
視線を落とすと、自分の指先に確かに湿り気が伝わっている。太腿の内側を、温かい筋がわずかに伝うのを感じてしまった。
(うそ……こんなに……私……まるで淫乱みたい……)
「ち、違います……っ、そんなの……」
必死に言葉を紡ぐけれど、声は震えて弱々しい。喉が詰まって、最後まで否定しきれない。
黒川は余裕の笑みを崩さない。その眼差しが「知っていた」と語っているようで、余計に追い詰められる。
「大丈夫。僕とキスした子は、みんなこうなるから」
自信に満ちた声音。落ち着き払った物腰。
その言葉に、胸がきゅっと締め付けられる。
「そ、そんな……こと……」
否定しようとする。けれど頭の片隅で別の声が囁く。
(でも……私はもう、キスだけで……)
酸素を奪われた口づけに、あんなにも甘い声を上げてしまった。彼氏では一度も感じなかった昂ぶり。身体が勝手に応えた事実を、私はどうしても打ち消せなかった。
羞恥と混乱で胸が苦しいのに、黒川の言葉はじわじわと心の奥に沈み込んでくる。
逃げたいのに、逃げられない。否定したいのに、できない。
私の身体は――もう、彼に支配されはじめていた。